難民を知る
難民とは、紛争や人権侵害から住み慣れた故郷を追われ、
逃れざるを得ない人々です。
難民となる前は、私たちと同じように家や仕事があり、
大切な人との日常がありました。
逃れた先での生活は、失った「当たり前」を取り戻すことから始まります。
ここ日本にも、そんな難民となった人々が逃れてきています。
世界には1億2千万人の難民
国連難民高等弁務官(UNHCR)によると*、世界で、紛争や迫害、人権侵害などにより移動を強いられた人は、2024年 5月時点で1億 2,000万人と、日本の人口に相当する人数に達しています。
これは過去最多、12年連続の増加です。
スーダン、コンゴ民主共和国、ミャンマー、パレスチナ、シリア、アフガニスタン、ウクライナでの情勢など、新たに勃発した紛争に加え、長期化した危機が解決していないことが増加の背景にあります。
世界の難民、庇護希望者、国内避難民、
その他の国際保護を必要としいている人の 総数

*UNHCR「Global Trends 2023」 グラフは、難民、庇護希望者、国内避難
民、その他の国際保護を必要としている人を合わせた人数(JAR年次報告書2023年度版より抜粋)
戦争で急増した難民の歴史
歴史を振り返ると、いつの時代も「難民」は存在してきました。
しかし、「難民問題」として国際社会に注目されるようになったのは、 ロシア革命やオスマン帝国の崩壊などで難民が急増した第一次世界大戦以降のことです。
第二次世界大戦中にはホロコーストが起き、難民を保護する必要性がより高まりました。
第二次世界大戦後の1950年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立され、1951年には難民条約が採択されました。
日本もベトナム戦争終結前後の1970年代後半から、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)から逃れた「ボート・ピープル」と呼ばれる人々を1万人以上受け入れたことがあり、1981年には難民条約に加入しました。
また日本は2010年に第三国定住難民受け入れを開始し、難民キャンプなどに暮らす人々を年間約30人受け入れています。

インドシナ三国から逃れてきた
ボートピープル
申請者の3.8%しか認定されない日本の難民認定制度
難民条約に基づく日本の難民受け入れは、あまりに厳しい状況が続いています。
2023年は、13,823人が日本で難民申請を行いましたが、認定されたのは303人です。
そして認定率はわずか3.8%にとどまります。(注)
一方で、7,627人が不認定とされています*。
日本では、難民認定の実務を出入国在留管理庁が担っており、難民を「保護する(助ける)」というよりは、「管理する(取り締まる)」という視点が強いといえます。
国際基準と比較すると、だれが「難民」かを決める認定基準や、公平性、透明性を確保した手続きの基準、難民の受け入れ体制などが不十分です。
難民を治安悪化や社会のリスクとつなげるなど、難民受け入れに関する根拠のない誤解や偏見も、現状の厳しい受け入れ状況を後ろ支えしているかもしれません。
(注)認定率=その年の認定数 ÷ (同年の認定数+不認定数)
例)2023年の日本の認定率の出し方:認定数303人、不認定数7,627人*
303 ÷(303 + 7,627)=約3.8%
* 申請後、難民認定の結果が出るまで数年かかることから、申請数と認定・不認定の人数との合計に相違が出ます。審査請求(不服申立て)での不認定件数を含みます。
日本における難民申請者・認定数・人道配慮数
10年間の推移

出典:出入国在留管理庁資料より難民支援協会が作成
~コラム~
2023年「改正入管法」の成立による難民保護の悪化
2023年6月、日本で暮らす難民の保護の悪化につながる内容を多く含む「改正入管法」が国会で成立しました。
例えば、「改正入管法」では3回以上の難⺠申請を⾏っている人などを対象に、難⺠申請中の強制送還が可能になりました。
しかし難⺠や難⺠申請者を送還することは、国際法上の原則(ノン・ルフールマン原則)によって禁⽌されています。
難民支援協会(JAR)では、「改正入管法」の①難民申請者の送還、②補完的保護、③仮滞在制度、④収容・仮放免・監理措置について意見書を発表しています。
難民申請中の厳しい暮らし
